人4 | 木のうろ

人4

人の好意に年齢による違いというものはあるのだろうか。
誰かを好きになるということに理屈はいらないという好きもあれば、知り合って言葉を交わしていくうちに段々と自分の中の好きに気づくパターンもあると思う。

前の彼女と会ったのは二十歳の時で、一目惚れではないけれど、同じバイト先で、近くに彼女がいるとやはり心が嬉しくなった。ドキドキ感と言うのかもしれない。

二十歳の好きと二十八の好きは違うとは思う。
先週末部屋に来て一緒に眠ってくれたmixiで会った二つ上の人とは毎晩電話をしている。メールもしている。その中で、向こうは、自分は貴方を束縛はしないが、あなたのことが好きだと言う。
夕べの電話もそういう終わり方だった。

吊り橋の上の好きではなく、本当に向こうがこちらのことを好きだというのなら、それは相手を傷つけることになる。
自分はその彼女の存在が今は本当にありがたい。
誰か寂しいときに声を聴ける相手がいるということは、本当にありがたいと思う。
でも、ありがたいと好きは違う。今は、自分は、その人と同じ部屋にいても楽しくはあるが嬉しくはならない。

二ヶ月ぶりに前の彼女と会って、物を返して30分で別れた。
しかし、待ち合わせ場所で久しぶりに顔を見たとき、嬉しかった。

事を急ぎすぎているのかもしれないが、
もし相手が、俺と同じ甘えやすがりの対象ではなく、本当に好きだと思ってしまうようならば、それはきちんと断らなければならない。

年始に、前の彼女がきちんとこちらと顔を合わせて言葉で伝えた行為がどれだけ礼儀に叶ったものだったか、そう考えるとよく分かる。前の彼女は時間は問題ではないと言った。しかし八年と一ヶ月でも、拒絶は拒絶だ。

こちらの錯覚に過ぎないのかもしれない。
でも、本当に相手の好きが、うれしさを伴う好きだとしたら、
俺は貴方にはうれしさは感じられないと、礼儀を持って伝えなければならないだろう。


理由もなく一緒にいると嬉しい。友達であれば、楽しさを共有できる。でも一緒にいるうれしさを共有できる相手は、好き合っている人間同士でなければ不可能だ。