通院2 | 木のうろ

通院2

二週間に一度木曜日に病院へ通っている。

さっきも行ってきた。

昼間に飲む薬はだんだん減っている。毎晩飲む薬が二週間分しか処方されないので、二週間に一度の通院だ。


最近は昼間職場で昼食を食べて、休憩するときに昔のことを思い出す。

そのときが辛い。あのとき何であんなことを言ったのか、何故泣かせるようなことを言ったのか。

何故彼女に泣かせるような酷いことを言ったのか。後悔だけがどんどん沸く。


でも、俺だってそれと同じくらい辛い、今だって辛い。人間なんだから、お互いさまだ。

向こうが考えていることは分からないし、向こうだって俺が薬を飲んでいることは知らない。

終わった関係なのだから、過去のことはやはり過去だ。

仕事や音楽をしてる時間はそこに没頭できる。空漠の時間が辛い。

前回の通院では、先生はそれを「二度目のこころの穴」と形容した。

別れを告げられ茫然自失となり、生きる力がゼロになる、それが一度目の穴、

そこからだんだん立ち直り、生活を送れるようになり、刹那的に違う相手をむさぼるように探し、

一体自分は何をやっているんだろう。何故あの時、あんなことを言ったのだろう。


そうした後悔や自分へ向かう内省、自責のこころの作用が二度目の穴だそうだ。


先週彼女と、自分の後輩の子を誘っていったライブは本当に素晴らしかった。

そのときは、彼女に多少そっけなく接した。

そして、ライブが終わった以上、こちらから連絡をとらない限りもう会うことはないだろう。

そして、多分俺から連絡を打つことはもうないだろう。


先生にそんなことを言った。

先生は、多分相手の思いでが薄れるまで、二、三年はかかりますよと仰った。

たった二日三日で忘れられるような、それだけの相手と何年も過ごしてきたのなら寂しいじゃないですかと。

それだけ辛い思いをするだけ、価値のある相手だったからこそ貴方は彼女と過ごして、辛い思いをしているんですと。


厳しい言葉だけどその通りだなと思った。

前回の通院で、先生はこの機会を人生上のチャンスだと仰った。

それまでの親しんだ環境からの転換期はいつだってこころ苦しい。

厳しく辛いチャンス。


薬をもらい帰社し、今これを書いている。

二週間に一度の日記。二度目の穴は、おそらく埋まらないだろう。

穴が空いているということを含めて、それが自分自身なのだと思えるようになるまで、

あと二、三年過ぎるまで。三年過ぎれば31歳。

その年齢に達するまで、くだらない時間の使い方だけはやめようと思う。